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      <title>まよなかえほん</title>
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      <description>夜がテーマの絵本の数々</description>
      <language>ja</language>
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         <title>自分の食生活を知る　3</title>
         <description>チョコレートは大半の人には合いませんが、少量なら代謝に影響しない人もいます。


反応は人によってみんな異なります。


からだによくない食べ物にたいする欲求を克服する最善の方法は、からだにもっと生命力をとりいれて、細胞の活動パターンを変えるという方法です。


その手の欲求はこころに不満があるしるしであり、食べ物によって不満を満たそうとしているのだから、その想念パターンがまだ神経系に刷りこまれていないうちなら、オステオパシーのような治療で細胞のパターンを変えることができます。


食事にかんする専門家のアドバイスでもうひとつ問題があるのは、からだの使いかたを考慮にいれていないところにあります。


寒い日に戸外ではたらいている人は大量の熱を産出するような食事を必要としますが、1日中座ってデスクワークをしている人にはそんな食事はいりません。


ダイエットの本は、この世でいちばん基本的なルール、つまり他人を支配するなというルールに反するものが多すぎます。


だれかの指示や命令によってではなく、自分自身の克己心によって、自分をコントロールしてほしいものです。

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         <pubDate>Sun, 08 Jan 2012 14:15:06 +0900</pubDate>
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         <title>自分の食生活を知る　2</title>
         <description>ところで、のみこむ前に100回噛めなどという人がいますが、気にすることはありません。


ひとつのルールを万人にあてはめることなど、できるわけがないのです。


消化液のはたらきがいい人もいれば悪い人もいます。


歯がいい人もいれば悪い人もいます。


50回噛めば噛むものがなくなってしまう人もいれば、まだ噛むものが残っている人もいます。


そんな人たちがみんな100回噛まなければならない理由がどこにあるのか？


個人の特殊性を無視した、万人に通用するたべかたや完全な食事などというものはありえません。


自分の特殊性が判明するまでは、感覚をみがき、からだの反応に注意を払いながら、おいしいと感じるものをたべていればそれでいいのです。


チョコレートがいいと思う人はまずそれを2、3本たべてみて、からだの反応をみればいいのです。


気分が悪くなる人もいれば、気を失いそうになる人もいるかもしれません。


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         <pubDate>Tue, 20 Dec 2011 14:14:35 +0900</pubDate>
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         <title>自分の食生活を知る</title>
         <description>食生活になにか問題があることがわかったら、節度をもってたべてほしいです。


消化不良によるひどい症状を呈していながら、たとえば「チリをたべると、いつもこうなんです」などという患者があまりにも多いのです。


・・・わかっていながらたべてしまうのです。


なにをかいわんや、です。


もうひとつの問題は早食いですね。


大口をあけて食べ物を放りこみ、噛んでいる途中でつぎの食べ物を口にいれます。


そして、まだ噛みくだかれず、耳下腺が分泌する消化液がはたらく間もなく、それをのみこんでしまいます。


消化というプロセスを妨害しているのだから空腹感がおさまらず、つぎつぎとたべつづけて、ついにはからだをこわすのです。


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         <pubDate>Sun, 06 Nov 2011 14:13:53 +0900</pubDate>
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         <title>組織改革とリーダーシップ　3</title>
         <description>このような昇格にもかかわらず、海外業務の実際は、あまり変化はなかったのです。


その点ではむしろフォードの方が先行して、1967年にヨーロッパ・フォード社がロンドンに設置され、ヨーロッパ事業の統合化が行われました。


業績にも反映され、ヨーロッパ・フォードはECでは一、2を争う存在となりました。


これに対し、GMのヨーロッパにおける活動は低迷し、1981～85年にわたり、10億ドル以上の赤字を出しました。


最近になって、ようやくGMもフォードにならってヨーロッパ事業本部をつくり、その本部をチューリッヒに置くことになりました。


これまでヨーロッパで対立的であった西ドイツのオペルとイギリスのボーグゾルの大いなる試みーサターン計画このような21世紀への挑戦という意味では、同様にサターン計画も注目を浴びています。


もっともサターン計画は、数年前から始められたものですが、まだどのような車が開発されるかは具体的に明らかにされていません。


ただ推測されるのは、現在鈴木自動車から輸入されている同社のミニコンパクトカー、シボレー・スプリントの価格5000ドルに対し、6000ドル、サイズもこれを若干上回るサブ・コンパクトカーのようです。


その開発費は35億ドルとも50億ドルともいわれ、1989年に開始を予定されている生産の規模は、年産50万台とみられます。
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         <pubDate>Sun, 23 Oct 2011 12:20:10 +0900</pubDate>
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         <title>組織改革とリーダーシップ　2</title>
         <description>BOCはグループ副社長ロバート・ステンペルが統括し、その直括下に22人の事業部長が入ります。


他方CPCには同じくグループ副社長ロバート・ルースのもとに、15人の事業部長が所属します。


GMIトヨタ合弁のNUMMI社も、新設のサターン社も、CPCの指揮下に入ります。


この二大グループ以外にはトラック・バス・グループがあり、これら3グループの調整には、組織改革中と同じように、執行副社長アレキサンダー・A・カニンガムが当たります。


彼と3大グループの長とは「GM黙示録の4騎士」を形成するわけです。


第三にGMは、ワールドカー構想を打ち出すとともに、グローバル戦略に応じた組織改革に乗り出しました。


従来、対外戦略は1934年に開設されて以来、海外事業本部が担当してきました。


それが1975年にはニューヨークにあった同事業本部が、デトロイトに移ると同時に海外グループに昇格した。


これまで本部長一人が副社長であったのに対し、海外グループでは7人が副社長であり、その統括者はグループ副社長となりました。

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         <pubDate>Sun, 11 Sep 2011 12:19:34 +0900</pubDate>
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         <title>組織改革とリーダーシップ</title>
         <description>こうした革新的戦略の展開に伴って必要なのが、組織の抜本的改革です。


組織改革はスミス会長の指揮のもとに、F・ジェームズ・マクドナルド社長が3年にわたって準備し、1984年1月はじめに実施に移された「企業界でも前例のない」大規模なものとなりました。


第一に注目されたのは、ボディー・メーカーのフィッシャー兄弟がGMに参加して以来、その組織のなかでもいわばアンタッチャブルな一枚岩であったフィッシャー・ボディー事業部が・・・


これまたドナー支配体制により、集権化のために強引に統合された組立事業部(GMAD)とともに解体されたことです。


第二はスローンが創設し、経営史上も「分権的事業部制」として名高かった、キャディラックからシボレーに至る五大事業部が大幅に縮小され、わずかに営業部門として名をとどめるにすぎなくなったのです。


これに対し、設計から組み立てに至る自動車生産の全工程が大型車と小型車のグループに大別されました。


前者にはビュイック、オールズモビル、キャディラック(BOC)が、後者にはシボレー、ポンティアック、カナダGM(CPC)が組みこまれることになりました。


解体されたフィッシャー・ボディーとGMADは、それぞれのグループに組み入れられました。

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         <pubDate>Sat, 13 Aug 2011 12:18:52 +0900</pubDate>
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         <title>ロジャー・スミスの決断</title>
         <description>女性評論家のマリアン・N・ケラーは、


「ロジャーは自動車業界の将来に対するビジョンを持ってGMを動かしている最初の人物である」


・・・といい、


「起こっているすべてのことは、彼のアイデアだ」(ビジネスウィーク)


・・・と評価しています。


しかし、GMが現在展開している個々の動きの背景をなす基本戦略となると、まだ霧のなかに深く閉じこめられている面が多いのです。


自動車産業はすでに成熟期に入っていることは疑い得ないが、GMがハイテクノロジーの分野を今後開拓して、多角化戦略に乗り出したとみるのも、まだ早計でしょう。


むしろ未来に向かって自動車のライフサイクルを逆転させる若返りの機会を、たとえ日本から知恵を借りてでも、とらえようとするすなおな意気込みが感じられます。


トヨタとの合弁でジャスト・イン・タイムの生産方式を学びとり、「サターン」計画でこれを生かすとともに、技術革新により高収益を生む戦略的小型車の開発に挑戦しようとしています。

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         <pubDate>Sun, 03 Jul 2011 12:17:58 +0900</pubDate>
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         <title>プロジェクターをレンタルした日</title>
         <description><![CDATA[『女囚さそり・けもの部屋』。


篠原とおるの劇画『さそり』を原作に、梶芽衣子が怨念に燃えるヒロインを演じた人気シリーズ(主題歌『怨み節』もおなじみ)の第3作。


劇画タッチの様式美(美しいか？)が最近の若者には新鮮らしいですね。


荒野を逃亡するさそり、という風景がお決まりですが、この作品は趣を変えて都会が舞台になっています。


この映画シリーズに関しては、語れば語る程、意味がありません。


マニアックに解釈して掘り下げることも、奇をてらってホメそやすことも、まるで的外れです。


それは『ターミネーター』を観て映画論を戦わす人がいないように(病人は除く)、ただ、何も考えずに楽しむだけの映画だからだです。


いい映画ですね。


<a href="http://www.rental-station.jp/" target="_blank">プロジェクター レンタル</a>で観るとさらに楽しめる作品です。


モンドとかカルトなどと言葉の付加価値をなすりつけて、45度の方角から予防線を張りながら作品と対面するのは、日本人の悪いクセ。


女囚さそりなんだからそれでいいじゃないか！！


それだけでいいモノがあります。


この"無"の桃源郷の先にある解放感。


先日『セブン』を観に行った時、隣の席のカップルの女が終演後、男に、


「で・・・犯人は結局、誰だったワケ？」


起きていたにもかかわらず、そう尋ねるのです。


彼女に言いたい。


"さそりを観よ！！"


・・・しかし、男は言いました。


「うーん。誰だっけ？」


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         <pubDate>Sun, 26 Jun 2011 13:22:50 +0900</pubDate>
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         <title>均てん努力と集権システム　4</title>
         <description>世間は辞書風にいえば「自分と共に世界を形作る一般の人びと」のことで、「世間の目が厳しい」とか「世間がうるさい」とか「世間体が悪い」とかいう揚合の「世間」です。


「狭い世間」は他人関係であるから親子関係では不要な遠慮が要るのです。


無遠慮であってはならない作法の世界です。


・・・しかし、ここでの他人は「遠い親戚より近い他人」ということわざに示されているように、自分のことを知っていてくれる、理解してくれている、認めてくれている、配慮してくれるような「他人様」です。


つまり、遠慮は要るぶ心(情)通う人間関係があるのです。


なにか困ったことがあれば心配してくれる友だちの関係でもあります。


わたしたちは、この「狭い世間」を、例えば、職場に、趣味や社会的活動の場に、子どもの頃からの友人付き合いに、隣近所の交際のなかにさまざまな形でもっています。


ですから、この「狭い世間」を騒がせ、怒らせて絶縁状態になると孤立してしまいます。


「世間をお騒わがせて申し訳ない」という場合の「世間」はどこよりもまず「狭い世間」であると考えられるでしょう。


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         <pubDate>Wed, 15 Jun 2011 13:08:56 +0900</pubDate>
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         <title>物怪</title>
         <description><![CDATA[「祈疇の効果と『物怪』の存在の証しが、『愚坐』への転移による顕現・可視化で成就される。


すなわち、人びとは『愚坐』の上に生じた変化と『物怪』の託宣を目撃することにより『物怪』の存在を確認し、また『物怪』をより顕現化されたものへと変えさせた祈薦の力を信じることになるのです。


またそれを経ることで、人びとは『物怪』に対して何らかの処置やコントロールが可能になったわけである」(『愚霊信仰論』)。




そうだとすると、逆に、依りましを使わない愚きもの落としをする愚依呪術者がいるのはどうしてなのでしょうか。


たとえば、安倍晴明のような陰陽師や近現代の多くの霊能者は依りましを使わない。


これには二つの理由が考えられる。


一つは、愚かれた者、あるいは霊能者自らが依りましの役割を果たしているということです。


このような場合では、霊能者が愚かれた者と問答をしたり、霊能者がトランス状態になって託宣をしたりして、愚霊の正体を明らかにする。


もう一つの理由は、陰陽師などは占いによって愚霊の正体を知ることができるということです。


先のいざなぎ流陰陽道の祭文でも、唐土じょもんは祈禧に先立って占いをしています。


話が横にそれたが、霊は愚くものだという考えこそが、日本の愚依呪術の根底をなしているのです。


話は変わりますが、占いに凝っている友人が<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>だと言うので、利用してみようと思いました♪

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         <pubDate>Tue, 07 Jun 2011 14:18:29 +0900</pubDate>
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         <title>均てん努力と集権システム　3</title>
         <description>住民が、みずからの手で共通に直面する問題を解決していく内発的な秩序の形成力を、ここでは「自律的秩序形成の『元気』」とよぶことにしましょう。


この「元気」がとくに地域で注目される必要があるのは、主としていわゆる都市化の進展によって「広い世間」が拡大したからだと考えられます。


それはまたわれわれの「他人観」と結びついています。


わたしたちが持続的にもっている人間関係は幾とおりかありますが、まず核になっていると思われるのは「血」縁で結ばれている身内関係とくに親子関係です。


親子関係の特色は心(情)通い、しかも遠慮がいらない点にあるといえます。


親子関係が薄らぐことを「水くさい」「他人行儀な」というし、円満な親子関係では「水入らず」で「何でも遠慮なくいえる」のです。


この親子(身内)関係のすぐ外に、これを中心にしていわば同心円風に他人との関係がひろがっています。


まず「狭い世間」があります。


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         <pubDate>Sat, 28 May 2011 13:08:14 +0900</pubDate>
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         <title>均てん努力と集権システム　2</title>
         <description>「自治」にはふたとおりの読み方があります。


これは前田多門氏も指摘されていることですが、一つは「おのずから治まる」であり、もう一つは「みずから治める」です。


後者の「みずから治める」ことがなぜ必要であるかといえば、地域社会には多様な利害や意見があり、それゆえ時には対立や争いが起こることは病理ではなく生理であるから、いろいろな工夫をして、そうした対立や争いを調整し解決していかなければならないからです。


この「みずから治める」という意味での自治の担い手は、どのような住民イメージでしょうか。


それは・・・


1．自己の個性的な利害や意見を明確に主張できる独立性を保ちながらも、


2．利害や意見の相互主張にともなう対立や争いを調整するためには相手方への理解と一定の譲歩とによって折り合いをつけることが結局、自分の利害にかなうと判断しうる知性をそなえていること


・・・この2つの条件を装備しているという意味で自己規律の能力をもつ「政治主体」としての住民です。


ここで「政治主体」という場合の「政治」は、自主独立の人びとが相互の自由な合意によって秩序(共存関係)を創り出す行為を指しています。


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         <pubDate>Thu, 28 Apr 2011 13:06:55 +0900</pubDate>
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         <title>均てん努力と集権システム</title>
         <description>平準化のための集権システムは広く人びとに対して、放置できず是正されるべき新しい格差が存在することを説得的に明らかにできないかぎり存続の理由は乏しくなります。


しかも、自然及び歴史環境の保全・都市化の鎮静と都市型生活様式の普及・美しい潤いのある生活卸環境の創造、物的豊かさを当然として育った世代の台頭、加速化する人口の高齢化などによって新たな内政課題が続出しています。


・・・これらは、各地域なり各自治体なりの特殊な条件、個性や独自性を確立しようとする自治体の意思を注視し尊重することなしには有効に対処できない課題群です。


画一性から多様性、集権から分権への要請は歴然としています。


こうした時代変化のなかで、「均てん努力」の元気は相変わらず根強いともいえますが、反省の時期を迎えていることも明白です。


・・・それは同時に、つねに住民の「均てん」願望を刺激し、それに応えることに社会の統合と発展の様式を見出しできたこれまでの政治や行政のあり方が問われていることを意味しています。


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         <link>http://csi-health.com/2011/03/post_39.html</link>
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         <pubDate>Mon, 28 Mar 2011 13:05:50 +0900</pubDate>
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         <title>最近気になる世界の「ジュエリー」その１９</title>
         <description>アラベスクは文字通りイスラム起源の連続した線の模様で形成され、グロテスクはまさにグロテスクな図像の集大成である。
これがどうしてジユエリー・デザインなのかと聞かれそうだが、ジュエリーに限らずあらゆる工房の親方はこの画集から自分の好きな部分だけを模写して品物を作った。

つまり彼は高価なこの版画集を隠し持って、その一部を自分のデザインとして小出しにして金を稼いだのである。
やがてデザイン画は今のものと同じく、ペンダントとか指輪とか、実際の物の形をとってゆくようになるが、ルネサンス初期に生まれたデザイン画は、何とも不思議なものであった。</description>
         <link>http://csi-health.com/2011/02/post_38.html</link>
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         <pubDate>Sat, 05 Feb 2011 12:14:16 +0900</pubDate>
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         <title>最近気になる世界の「ジュエリー」その１８</title>
         <description>19世紀の末頃になって、これを使ったと称するジュエリーが作られ、ホルバイネスクの名前で売られた。
これなど「何々先生デザインのジュエリー」の走りだが、ホルバインの絵とは全く似ていない。

2人の後を追うようにして多くのデザイン画を残した人々が出るが、初期のデザイン画の面白さは、デザインがジュエリーの形をしていないことだ。
アラベスクあるいはグロテスクと題されたもので、その多くは全く自由な発想のさまざまな形を連ねた版画である。</description>
         <link>http://csi-health.com/2011/01/post_37.html</link>
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         <pubDate>Sun, 16 Jan 2011 12:13:38 +0900</pubDate>
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